女躰神社、なんともセクシャルな想像をさせる神社名ですが、実は悲しい伝承が伝わる神社。2019年10月、台風19号が関東を直撃。全国に大きな被害と爪痕を残しました。多摩川も氾濫して被害がでてます。こんなときこそこの神社に神頼み、ということでお参りにでかけました。台風通過後の多摩川の様子も掲載してます。
女躰神社とは
JR川崎駅の駅近にある神社です。
創立の年代は不明。永禄年間より女躰権現と称えられていたそう。
このへんは多摩川の辺りのため、降雨のたびごとに多摩川が洪水。田畑への冠水甚だしく農耕が不可能な状態になったとき、一人の女丈夫が水中に身を投じました。一身を犠牲にしたことにより、その後は大きな災害もなくなったとのことで、その御徳と偉業を称えるために一祠を建立したのが由緒だそうです。(神社配布の女躰大神由緒を要約)
多摩川の洪水に対し、女性を人身御供にしたことから祀ったんじゃないかとも想像もしますが、あくまで個人の妄想の域。今回のような自然を恐れ、鎮めたいときに行くべきところかもしれません。
女躰神社へのアクセス
JR東海道線川崎駅に隣接するラゾーナという商業施設の裏にあります。
神奈川県川崎市幸区幸町1丁目
女躰神社の御祭神
- 伊邪那岐命
- 伊邪那美命
- 誉田別命
- 天照皇大御神
- 建御名方大神
多摩川に身を投げた女性は、女性の祖神である伊邪那美命に置き換えられました。その夫である伊邪那岐命もお祀りして、夫婦の神を祀る神社になったそうです。
女躰神社 参拝記
参拝日は2019年10月14日。台風が12日に関東を通過。その2日後です。家の近くの多摩川の様子を見にでかけ、その様子をみて女躰神社のことを思い出し、そのままお参りに行った次第です。
女躰神社へ
まず多摩川の様子から。武蔵小杉より少し下流、多摩川大橋から多摩川上流を撮影した写真です。濁流ですが、川幅は普段より広い程度。河川敷は見えるようになっています。

ただし河川敷は一回水没したので、その傷跡がいたるところに残っています。

河川敷には当然まだ水が残って、大きな水溜りを形成しています。階段の手すりには流れてきた植物が巻き付いています。この高さまでは水が達したようです。

撮影地点から30分ほど川崎に向かって歩いて、女躰神社に向かいます。川崎ラゾーナの裏、ラゾーナ駐車場の向かいにあります。

女躰神社 境内散策
こちらが女躰神社。境内は広くありません。おまけに、なにか工事中でした。まずお辞儀をして鳥居をくぐります。

鳥居には「女躰大神」とあります。

狛犬。立派な作りです。子供を抱えている?

女躰神社拝殿。家族無事だったことにお礼をしました。ただ今は10月。神無月なので、神様は不在かも

あやうく見落とすところでしたが、拝殿の彫刻がすごいです。まず水神の龍ですね。暴れる多摩川を表してるのでしょうか。絡み合うようにたくさんの龍が彫られています。

柱には獅子と象かな。

境内には東日本大震災からの復興を祈ったアンパンマンの巨大絵馬があります。やなせたかし先生に剛輝をお願いしたものだそう。東日本大震災以来、立て続けに大災害は日本を襲っている気がしますね。社務所でアンパンマンの絵馬を買うと、被災地に寄付されるそうです。

御朱印
社務所は拝殿の横、ちょっと奥まった見えにくい場所にあります。この神社は2回目なのですが、前回来た時は社務所がない神社だと思っていました。

こちらが女体神社の御朱印。書き置きのものしかありません。多摩川に身を投じた女丈夫と水龍が描かれています。多摩川の氾濫のあとのこのタイミングでいただくことの意味をちょっと考えてしまいます。

社務所にはられていたお守りの案内。暴れ水龍を鎮めた大女様か。今回は鎮めきれなかったとも言えますけど、地球温暖化を始めとする我々の生活のツケが溜まりすぎた結果とも思ってしまいます。治水は国の根本、そんなことも日本人は忘れていた気もします。

まとめ
まったく期せずして訪れた女躰神社。名前の響きとはまったく別物の意味をもつ神社です。復興は神頼みだけで済まないのは承知していますが、祖先やこの土地に生きた人たちの思いや智慧を受け継いでいくことも大事じゃないかなと考えていました。